暴力は言葉の放棄

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8/20夜までの情報です。今日の記事リンクは那覇空港国際線ターミナルで起きた中華航空機の爆発炎上のニュースのみです。最初ニュース速報で見た時はここまでの大事故とは思いませんでしたが、とにかく犠牲者が出なくて幸いでした。普通着陸してターミナルまで自走し、機内のシートベルト着用サインが消えると、乗客は一斉に立ち上がり荷物を持って立ち上がり通路に列を作って戸口に並びます。その状態だった時に脱出連絡が入ったので、90秒という驚異的早さで全員機外に出られたのでしょう。とにかく「物が壊れただけ」で済んで良かったです。

その陰に隠れたわけではないでしょうが、辺野古では予想通り作業船団による強行作業が再開されました。今日は2船団4隻の作業船が出て来て、宜野座の方での調査だったようです。こちらは船2隻、ゴムボート1艇、カヌ−4艇、そして飛び込み隊の人たちで阻止行動を展開しました。監視行動と作業阻止、こう着の繰り返しだったようですが、もはや「作業員たちによる暴力」はニュースにさえなりません。

暴力というのは「不当、不法な方法による物理的な強制力の使用」です。つまり具体的には「身体や財産などに加える物理的強制力や破壊力」のことです。辺野古での例をとって具体的に言えば、「平和を創り出す市民たちの身体や、世界的財産である沖縄の海や希少生物などに加える、国に雇われた東京の会社の作業員たちによる破壊的力の行使」ということになります。辞典によれば、「暴力」とは「権力の究極的根源」であり、近代的国家権力は軍隊や警察など、「暴力の集中的独占を根拠」として成り立っていると書かれています。つまり公権力による物理的強制力の行使は法的根拠を逸脱しない限り理論上・倫理上は暴力とは言わないということだと思いますが、それは傍目には明らかに「暴力」であることから、結局は権力が権力たる所以は「根源的には暴力が中心となっているからだ」という説明がなされていると思います。しかし一般的な理解では「暴力」は「正当性を欠いた強制力」のことですから、プラスの言葉として使われることはありません。

根源を辿れば「権力=暴力」ということですから、自衛隊や警察はその存在自体が「暴力」であると説明することもできます。もちろんすべての自衛官、すべての警察官がそれに当てはまるとも思えません。弱きを助け強きを挫くという人もいるでしょう。しかし警察手帳、制服、パトロールカーによる「抑止力」を持つということは、理論上は「暴力によって支えられた仕事」ということになります。自衛隊も然りです。

さて「辺野古で自然破壊の片棒を担いでいる余所者の作業員たち」は、どういった存在なのでしょうか。国から仕事をもらっている一般人たちです。施設局がバックについているからとはいえ、実際に辺野古の海で作業を強行しているのは、権力を持たない一般人たちです。沖縄県は事前作業をする許可は出していますが、彼等が権力を持たせたわけではありません。彼等の振るう暴力は「根源的中枢に存在する強制力」ではなく、「言葉を放棄したレベルの低い愚行」に過ぎません。海の中というある種密室の中で、自分は阻止行動をする面々よりも上の立場の人間なのだと「愚かすぎる勘違いをしている可哀想な心が引き起こす醜い結果」です。

もしそうでないとしたならば、あと考えられる理由はあまりありません。国から「暴力手当」でも出ているのでしょうか。「ワンパンチ2,000円」とか「一蹴り3,000円」とか。そうでもない限り、普通の人間が非暴力の人間に手を出すことなんて「常識では」考えられません。もちろん業者の皆様が「しっかりとした教育の元に身につけた倫理観と道徳観に基づいて、人間として当然な理性的な心を持った人である」ということが大前提ではありますが。

「琉球朝日放送(QAB)・8/20」
中華航空機 爆発炎上

「朝日新聞・8/20」
着陸前後に燃料が漏れ、引火か 中華航空機炎上

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このページは、hが2007年8月21日 00:18に書いたブログ記事です。

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